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2009.03.09

パイパー

2月27日の金曜日は会社をソッコーで出て、シアターコクーンへ。

野田地図第14回公演「パイパー」を観た。

<キャスト>
ダイモス :松たか子
フォボス :宮沢りえ
ワタナベ :橋爪 功
キム :大倉孝二
ビオラン :北村有起哉
ゲネラール :野田秀樹
ガウイ :田中哲司
フィシコ :小松和重
マトリョーシカ :佐藤江梨子
パイパー達 :コンドルズ


ずっと観たいと思っていた宮沢りえの舞台は、2007年の「ドラクル」で観ることができ、線の細さを裏切る存在感で釘付けにされた。
「透明人間の蒸気」も「ロープ」も見逃した(「オイル」も見逃した)私としては、否が応でも高まる、宮沢&松のNODA・MAPだった。


 

舞台は、1000年後の火星。

SFだ。

火星入植者達は、人間の幸福度を数値化することに成功し、為政者はその数値を無限を示す「8888」にまで上げることを目標とする。

SFだ。

人間の幸福をサポートするパイパー達も作られた。人間を争いや危険から回避させ、滞りなく日常を送るために、常に存在する。

SFだ。

まず、「火星」という設定の「SF」であることに既に、ノックアウト。

「火星」といえば、萩尾望都「スター・レッド」がまず頭に浮かぶ。
地球から入植した人間達の末裔である「火星人」の話であること以外、まったく「パイパー」との接点はない。

なのに、どうしても萩尾望都作品を想起させてしまうのは、パイパーの存在だ。
その設定。その動き。

人間をサポートする、柔らかな動き。
ぽわぁぁん、ぽわぁぁんという擬音が聞こえてきそうな、柔らかで優しい動きなのに、どこか不自然で気味の悪さも漂う。
そして、狂いが生じるそのきっかけとなる言葉。
狂気の存在となった時に醸し出す恐怖感。
曲線の動きが、直線的になり、柔らかかったパイプが凶器となる。

萩尾作品にこういった設定のものは無かったと思うのだが、「バルバラ異界」や「ハーバル・ビューティ」などの異界・異星の生物との「判りあえなさ感」を思い出してしまった。
萩尾作品の世界感を舞台化するのは、やはり野田秀樹なのかと改めて感じ入った。返す返すも「半神」を見逃したのが悔やまれる。

と、こんな感想はおいといて。


松たか子と宮沢りえの共演ということで、一も二も無くチケットを取った。
素晴らしかった。

フォボスとダイモス。
火星の衛星の名を持つ姉妹。

宮沢りえの姉フォボスは、ドキドキするほど迫力があった。
火星の今を知る者。
「父」ワタナベが何者かを知る者。
自分が何者かを知る者。
若干潰れてた?と思うほどに、ドスが聞いた声は勿論、台詞回し、視線、体の動きはさすがに妊娠中期ということで抑制していたのかもしれないが、それでもバリバリに動いていた。

松のダイモスは、姉フォボスと対をなす存在。
無垢であるゆえの無知。
火星を知らぬ者。
「ワタナベ」を父として慕うもの。
自分が何者かを知らぬ者。
フォボスと比べると、ただただ無邪気だ。毒がない。
が、物語の後半になるにつれ、その無垢さの重みがましてゆく。

圧巻は、フォボスの過去。
宮沢が子供となり、松がその母へと、毒の強弱が逆転する場だ。

火星のおしまいの日。
カタストロフィーへのカウントダウンが始まった日。

とにかく鳥肌がたった。

もしかしたら、これまで見聞きしてきた、映画・小説・漫画・アニメ・舞台・絵画、数多あるメディアの中で最も戦慄した「地獄絵図」だったかもしれない。

退避する金星からの宇宙船に殺到する群衆。
辛うじて船に引っ張り上げられ、助かった一握りの人々。
乗り遅れ、タラップからバラバラと落ちていく人々。
地が割れ
倒壊する建物
昨日までの日常が瓦礫となった中を、歩き続ける母子。

松と宮沢の二人が、台詞のみで綴る災厄の日の火星の様子は、原爆投下後の街並みであり、空爆後の街並みであり、震災後の町並みだった。

怖かった。
鳥肌がたった。
涙が出た。

私、松の「母」が好きみたいなんだなぁ。
啖呵を切る、悪態をつく、そして子供の手を引き、火星にとどまる。

もう、あの二人の息をもつかせぬ長台詞を聞けただけでも、見にいった甲斐があるというもの。

この作品、野田作品としては言葉遊びも控えめで、判りやすい作品だったのではないかと思う。
が、幸福の度合いを数値化という破天荒な設定は、現実現在の自分を取り巻く「仕事」を思い返すと、なかなかに身をよじりたくなるものでもある。

ナントカとナントカを足して、引いて、割って、掛けて。
なんとか、数字に意味を持たせて。
それをみんなで共有し、
目標として、
一喜一憂して、
時に、直感を否定して。

意味が無いとは思わないし、必要なことだとすら思っているけれども、それでも舞台上でパイパー値(幸福度)が上がった下がったと、どう見ても「幸せ」に問題のなさそうな人達が大騒ぎをしているのを見れば、そこに自分を重ね合わせてしまい、なんだか微妙な気持ちになってもいたしかたないこと。

いじましさとか、いやらしさとか、さらに進んでおぞましさまでも感じられたのは、さすがのデフォルメなんだろう。

この数値化だけでなく、生きたものを食べることが「気持ち悪い」とされる、現火星にあって、過去にあった「生きたものを食べる」のエピソードなども、現在の食事情と重ね合わされるわけで、やはりなんだかザワザワとするおぞましさを感じないわけにはいかない。

あぁ、なんでチケット1回分しか取ってなかったんだろう。
久々に、2回3回と見たい芝居だった。

GWの5月6日に、WOWOWでやるそうだ。
加入するしかないな。

 

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