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« 交渉人 真下正義 | Main | デモクラシー 2005年3月27日 »

2005.06.09

やったね!とW杯予選のおもひで

まーずーわーー

おめでとう~~っ!

だろな、やっぱり。

本日、よんどころない、超緊張を強いられるとある用事のため、悲しいことに後半からの観戦となったわけであるが、まぁ~なんにしても良かったよーーん。
FWがFWらしい点の取り方をして勝つっちゅーのはやっぱりえぇもんだねぇ~。
どうも前半はあまり出来が良くなかったようだなぁ。これからビデオを見ようかと思っているのだが、やっぱやめようかなぁ~。

点が入ればとんとんと2-0くらいいくかなぁとか思っていたし、ドイツへは”行くのが当然”と半ば自己暗示をかけていたので、泣きゃぁしないだろうと思っていたのだけど、家に帰ってTVをつけて、スタジアムの外から日本コールが聞こえた時、ちょっと、いや、かなり胸が熱くなった。彼ら、12番目のゲートのところで応援してたんだってね(感涙)。

でもって、試合終了のホイッスルが鳴り響いたとき、不覚にも涙ちょちょぎれた。

W杯予選8年ぶりだもんなぁ~。やっぱり、独特ですわ。うん。
なんといっても前に予選を勝ち抜いて、W杯出場決めたのは、青梅にいたころだもんなぁ~。W杯予選という大勝負に対して8年のブランクがあるってことで、予選が始まった時は、ホント、かなり不安だったんだよねぇ。

ところで、私は「ドーハの悲劇」と「ジョホールバルの歓喜」という言葉が大嫌い。何にでも何かしらキャッチ・コピーをつけたがる日本のマスコミが大嫌い。気持ちは判るが、イヤ!寒い!最初に見出しをつけたメディアは偉いと思うが、自慰的にいつまでもいつまでもそのフレーズを繰り返す姿勢が嫌い。
とはいえ”史上初の無観客試合”とか”主力不在”(シツレイ!)とか、ドラマチック要素的にはことかかない本日の試合についても、ボキャブラリー豊富な日本のマスコミはこれから何か作ってくれるんだろーなー。

私がW杯を観だしたのは86年のメキシコ大会からかなぁ。といっても、当時は今みたいにTVで中継なんてやってくれなくて、サッカー部の監督が東京の友人に頼んで録画してもらったダイヤモンド・サッカーのビデオを部員みんなで観たんだっけ。あぁマラドーナの5人抜きはやっぱり忘れられないわ~。

90年のイタリア大会は一番サッカーから遠ざかっていた学生時代だったけれど、それでもTVで観られる限りは観たような気がする。バッジョに惚れたのは確かこの時だ!

でも、この時までは、確実にW杯って”出場するのが夢”の大会だったのよねぇ~。


ドーハ(1993年10月28日)
当時私は青梅にいた。会社が借り上げているアパート(寮)住まいだった。アパートの2,3階に十数名の同僚と共に暮らしていた。当然のようにサッカー部に入っている先輩やら清水東出身の先輩やらがいて、サッカー好きとしては中々の環境だったのだが、この日、なぜか示し合わせたように日ごろは一緒に試合を観るサッカー好きを自認する先輩・同輩達は各自の部屋で試合を観戦したものだった。
私も1Kの狭い部屋で、一人心はカタールへ。
思い返してみても、これまでの人生の中で一番熱心に力を入れて応援していたのはやはりオフト・ジャパンだったような気がする。
清水東の三羽烏・長谷川健太や堀池さんがいて、武田さんがいて、ゴンちゃんがいて、高木がいて、井原さんがいて、ヤスさんがいて、カズとラモスがいて、キーちゃんがいて、澤登がいて、福田がいて、キーパーには松永さんがいて...。とにかく、高校サッカー、大学サッカーのスター達が発足したてのJリーグを熱く盛り上げると共に、初のW杯出場できるかもっ!と確かに思えた時代だったのだ。
「ドーハの悲劇」として繰り返し繰り返し映像を見せられなくっても、今でも、あの瞬間、弧を描いてゴールに吸い込まれていくボールの映像は鮮明に思い出せる。
一人、部屋で30分ほども号泣した後、ドアを開けてアパートの廊下に出ていれば、示し合わせたかのように一人また一人とサッカー好きの先輩達が部屋から出てきた。みんな一様に目のふちが赤かった。
何を話すでもなく、ただ静かに外を眺めていた。
翌日出社して、初めて「うるみぃ、負けちまったなぁ」と先輩に言われた時、会社だというのに私は涙を抑えることができなかった。「泣くなよ、次はフランスだぞ」と慰められたっけ。あぁ~、若かったなぁ~。


ジョホールバル(1997年11月16日)
この時もやはり青梅にいた。確か、課会旅行で石和温泉に行っていたのだと思う。
まだうら若かった(^^;;私達女子をコンパニオン代わりにタガを外す上司と先輩達をふりきって、サッカー好き同僚達と旅館の大部屋で14型の小さなTVで観戦した。
「ジョホールバルの歓喜」として繰り返し繰り返し映像を見せられなくっても、今でもあの瞬間、岡野のゴールデンゴールと駆け出していく岡ちゃんの後姿は鮮明に思い出せる。
大部屋では飛び散るポテチ、はだける浴衣、仲居さんにしかられる我らだった。
とはいえ、岡ちゃん・ジャパンの場合、そこにいたる加茂・ジャパンとか、当時の日本サッカー協会の騒動とかいやぁ~ほーんと色々あったからなぁ。
それに、Jが発足して、そろそろいい加減に結果を出してくれ~という感じでもあったので、歓喜というよりはホッとしたって感じの方が強かったし、当時のヒデのクールなリアクションが一番しっくりきたかなぁ。


今後の私の野望
私は高校の時から「新婚旅行でW杯観戦!」と言っていたものだった。当時の予定では、んーー適齢期的には94年のアメリカか~と思っていたものだった。しかし、あっという間にその94年が過ぎ去り、ちっ、しょーがないな、新婚旅行はフランスでいっかーなどとうそぶいていたのだが、そんな98年もいつの間にか過ぎ去り、三十路もとうに超え、韓国に新婚旅行に行くこともなく、どうやらドイツへの新婚旅行もなさそうだ。
この野望は、思い切って2010年南アフリカ新婚W杯観戦旅行ってことに持ち越したいと思う。

っつか、アジア予選1位でいってくれろーー。
あ、でも、予選2位とかの方がグループ・リーグ強豪と当たるかな?
私の夢は日本がイタリアとドイツに勝つことよーーん(笑)。

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Comments

うーん。どーでもいいぞ :-)
オレ。ま、PVあがるから勝ったほうがいいけどさ。
予選だったのも当日人から聞くまでしりまちぇんでしたとさ。
ふぅ。

ねーさんは、さもありなんだろーなー(^^;;
まぁ、渋谷の交差点の狂気沙汰をニュースで見て、非常に薄ら寒い思いをしたところなので、いっそ、ほっとした(w

結婚なんて、する時は半年でもするって。
まだ間に合うよ、ドイツ(笑)

娘の将来の夢はサッカー選手になること。
父も母もバレーボール選手なのになぜにサッカーなのか。
とにかく、ウチの娘の活躍を新婚旅行で観戦っていうのはどう?
現在小学1年生ですが。

柳沢は富山県出身。久々のゴールでした。お父さんの8番ラーメン屋はさぞや儲かったことでしょう。
きっとマニアックなお客さんが多かったはず。私も富山に来たばかりの頃、店で野菜ラーメンを食べました。
いわゆるチェーン店の味だけど意外においしかったよ。

>とるとる
わかったよ、出会って2週間で入籍目標!にします。
ぜってー、びっくりさせてやるー。

ってか、とるとるのコメントってなんでメールがこないんだろう~。Blogにコメントがくると自動的にメールがくる設定にしているのに、とるとるのコメントはメールがこないぞ?なんでだ?


>めんたん
まぢで!!いつのまにくーちゃんったら、そんなサッカー好きに?昔、うちらの高校のサッカー部に女子日本代表の選手が練習にきていたけど、それはくーちゃんに対する伏線だったのか?(笑)
楽しみじゃのーう。


> 藍苺ちゃん
やっほー。ちゃんとコメント書き込めてたよん。
そういえば、中継で富山からっていうのもあったなぁ。
そうなのか、柳沢んちってばラーメン屋だったのか。
いつかは行ってみたいと言っている、富山への観光コースが一つ増えましたわ~。

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